マリオクイズ大会_第2回と第4回の記録

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マリオクイズ大会_第2回と第4回の記録

マリオクイズ大会_第2回と第4回の記録は、MARiO QUiZのうち、優勝者が判明しているにもかかわらず大会の詳細が長らく未詳とされてきた第2回(星環805年)と第4回(星環807年)の記録を整理した記事である。

第2回MARiO QUiZ(星環805年)

概要

第2回MARiO QUiZは、MARiO QUiZが創設された翌年にあたる星環805年に開催された。優勝者は創設者であるヨイデスネェ自身であり、MARiO QUiZの歴代優勝者のうち、後の大会を創設しなかった唯一の優勝者として記録されている。

記録の位置づけ

創設者の優勝が確認できる回次である一方、第1回(星環804年)の優勝者が未詳であることと対になり、MARiO QUiZ初期の記録の残り方の不完全さを物語る回として扱われる(説)。

  • 参加者: 抽選で選ばれた32人(当時の標準形式)
  • 優勝者: ヨイデスネェ
  • 準優勝以下: 未詳

意味

ヨイデスネェの優勝は、創設者自身が競技者としても大会の頂点に立ったことを示す。このことがMARiO QUiZの「元祖」としての権威づけに寄与したとする見方がある(説)。知能王AMERICA州王OMEGAHRLRを後に創設する者たちが揃ってMARiO QUiZの優勝者であるのに対し、創設者の優勝は「元祖の証明」として独自の位置を持つ。

第4回MARiO QUiZ(星環807年)

概要

第4回MARiO QUiZは、星環807年に開催された。優勝者は国威であり、のちに「アメリカ50州陣取りクイズ王」AMERICA州王を創設するマリオとして知られる。

記録の位置づけ

第4回の優勝記録は、AMERICA州王創設者である国威の競技者としての実力を示すものとして伝わる。大会の詳細(決勝の対戦相手や問題内容)は未詳であるが、優勝者が後に独自大会を創設した点で、MARiO QUiZがマリオクイズ大会群の「母体」であることを示す記録の一つとされる(説)。

  • 参加者: 抽選で選ばれた32人(当時の標準形式)
  • 優勝者: 国威
  • 準優勝以下: 未詳

意味

国威は後に「アメリカ50州をテーマとした陣取り式」という独創的な形式の大会を創設しており、第4回の優勝がその競技理念の原点になったとする見方がある(説)。あわら・おおいという後のライバルとは異なり、国威の優勝は大会史の中で独立した一項として記録されている。

記録の残り方

第2回・第4回は優勝者が判明している一方、決勝の対戦内容や出題問題は週刊ネットニュースの報道や口承としても断片的にしか伝わっていない。これは、記録の中心があわらとおおいのライバル関係に置かれていたためとする見方があるが、明確な理由は未詳である(説)。

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